kodeyanさんの旅行記
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旅行記タイトル:カラコルム・ハイウェイでフンザへ 秀峰 温泉 高い空 陸路ドンドコ★19
旅行期間:1999/11/15〜1999/11/20

旅行記の内容:フンザの空は高い。
7000メートル級の山々がそう高く見えないのだ。
空気も人の心も澄んでいる。
ラワールピンディから憧れの地フンザに着いたとき、そう思った。
日本を旅立ってから四ヶ月になっていた。
「ガーン ガガーン」
雷のような地響きが遠くの谷に響き渡っている。
自動車のクラクション、町のざわめきの代わりに聞こえるのは、氷塊が砕け落ちる音だった。
画像はカリマバードのフンザ渓谷の景色。
フンザは町の名前ではなく旧王国の名前で、フンザの中心がカリマバードとなる。
※20070404追記:
12枚目の写真、白い水の理由がわかりました。
氷河が山を下るときに削り取った細かい土砂のせいだそうです。
写真:フンザの空は高い。
7000メートル級の山々がそう高く見えないのだ。
空気も人の心も澄んでいる。
ラワールピンディから憧れの地フンザに着いたとき、そう思った。
日本を旅立ってから四ヶ月になっていた。
「ガーン ガガーン」
雷のような地響きが遠くの谷に響き渡っている。
自動車のクラクション、町のざわめきの代わりに聞こえるのは、氷塊が砕け落ちる音だった。
画像はカリマバードのフンザ渓谷の景色。
フンザは町の名前ではなく旧王国の名前で、フンザの中心がカリマバードとなる。
※20070404追記:
12枚目の写真、白い水の理由がわかりました。
氷河が山を下るときに削り取った細かい土砂のせいだそうです。
11月15日、ピンディからギルギットへ向けて出発の日がきた。
SARGIN TRAVEL社のコーチは片道330パキスタンルピー 800円。
ピンディから590キロメートルの道のりを16時間かけて走る。
コーチとは画像左下の白いトヨタのコースターである。
KKH(カラコルムハイウェイ 以下KKHと表記)は、1978年6月に開通した。
完成まで十数年を要し、三千人を越える犠牲者がでたという。
イスラマバードの北200キロメートルのタコット村にかかるタコット橋が始点となる。
タコット橋から中国国境のフンジュラーブ峠まで645キロメートルの道である。
だいたい東京から姫路くらいの距離になる。
フンザに着いてから聞いて驚いたことがある。
ちょうど一ヶ月前の10月中旬にKKHの道中に山賊が出たという。
NATCO(Northern Area Transport Corporation)からセキュリティ(護衛)つきのDXバスが410パキスタンルピーで出ているという情報があった。

これから向かうのはノーザン・エリアという北方地域である。
昔は谷ごとに小王国が林立していたそうだ。
19世紀半ばにヒンドゥ王朝のドーグラー朝が北方地域をカシミール藩王国として統一した。
カシミール渓谷を挟みチベットに近いラダック、アクサイチンまで含まれる。
1947年に英国からインドとパキスタンが独立するときに、カシミール藩王はどちらに帰属するか表明を引き伸ばした。
そしてインド・パキスタン戦争へと発展していった。
1949年の停戦ラインがパキスタン・インド管理ライン(LOC)となっている。
地図の中央破線部分がLOCだ。
2005年10月8日、南アジアでこの100年間に起きた最悪の地震が、このカシミール地方を襲った。
最近の英字新聞に下の記事があった。
India Helps Pakistan amid Disease Threat
「伝染病の脅威のなか、インドがパキスタンを支援」
50年以上パキスタンと紛争を続けているインドが援助に加わったという。
(改めて犠牲者のご冥福とそのご家族・被災された方々に心よりお見舞い申し上げると共に、両国に挟まれたカシミール地方の平和を極東の地からお祈りします。
)

午後3時にピンディを出発し、夜10時ころ夕食を食べ、夜中の1時にチャイタイムの休憩があった。
その後しばらく浅い眠りに落ちたようだ。
早朝5時すぎ、重たい瞼を開くとこの光景が広がっていた。
白い、真っ白い。
ココアパウダーをふりかけたような土埃の地に慣れていた頭のなか。
まだ日が明ける前の黎明だというのに、白い雪が眩しかった。

このあたりは巨大山脈が交わる地点になる。
KKHの左手にヒンドゥクシュ、正面にカラコルム、右手にはヒマラヤ山脈というスンゴイところ。
そしてインダス川とギルギット川の合流地点でもある。
ヒマラヤの雪どけ水を運んで右手に平行して流れていたインダス川が、大きく右に曲がっていく。
インダス川の先には、世界中から登山客が集まるトレッキング基地スカルドゥがある。
「この世の天国」が売りもののシャングリラ.リゾート・スカルドゥをご存知の方は多いかもしれない。
KKHはギルギット川に平行して走ってゆく。
正面にハラモシュ7406メートル(右)とラカポシ7788メートル(左)の秀峰が見える。

朝7時半にギルギットに着くと、若い客引きが待っていた。
名刺を見るとMadina Hotelの従業員だった。
バス乗り場にほど近いホテルは雰囲気も悪くないので即決する。
背の高い20代の韓国人男性客が薪割りをしている。
聞くと自分のホットシャワーのためだそうだ。
長旅の疲れでシャワーでも浴びたいところだが、薪割りに躊躇して諦めた。
仮眠してから町の散歩開始。
この画像はギルギット川にかかる吊り橋で、眺めはいいが渡るときちょっとドキドキする。

橋を渡りきると飛びこんでくるのが、この光景だ。
カシミール・バザールがにぎやかで楽しい。
白やベージュの「パットゥ」という帽子も売っている。
パキスタン北部の観光拠点だけあり人も車も多い。

ポロ競技は北方地域が発祥の地といわれている。
ギルギットの見ものの一つでみんな楽しそうに観戦していた。

ギルギットのメインストリートを並んで歩くバックパッカー、ダンナちゃんとAさん。
フンザ行きミニバス乗り場に向かって歩いている。
Aさんは、某旅行会社を退職して長期の旅に出ていた。
南インドがとても良かったそうで、話しを聞くだけで行ってみたくなった。

フンザの宿はここ、オールド・フンザ・インにした。
ここのオーナーは勝新太郎にそっくり!それでなんとなく(笑)
安宿だが北方向にウルタル7388メートルを望むロケーションで眺望はだよ。
早朝5時24分、雲に隠れた左の?峰、右の?峰が静かにたたずむ。

宿の前にちょっとしたスペースがあり、そこにこの小屋があった。
なかを覗くと人が寝ている。
うわぁ?寒くないんだろうか。
こちらも5時24分、山ひだの万年雪が黄金色に輝く。
左からウルタル、小指の先ほどの先端が顔を出しているレディフィンガー、フンザピーク。

画像中央にバルチット・フォートという藩主が住んでいた白い宮殿が見える。
バルチットの丘の頂きに建てられている。
ラカポシ、ディラン、ゴールデンピーク、ウルタルなど絶景の山々に囲まれているところなのだ。

バルチット・フォートに行く途中に小川があった。
手を浸すと氷のように冷たい。
白っぽいのは、ナガル渓谷とフンザ渓谷から流れだした氷河がまだ溶けきっていないのかもしれない。
フンザは長寿の里として有名で、秘訣は「水」ともいわれている。
なんとも贅沢な天然ミネラルウオーターだこと。

村で声をかけられた。
30代の男性で、バルチット・フォートの近くに家があるので寄っていけと誘う。
了解を得て内部の写真を撮らせてもらった。
ここには写っていないが土間になんか固体ブツが・・
赤ん坊のう○ちを慌てて掃除するお父さん、微笑ましい光景だった。
その彼の目的は、奥さんとお母さんが刺繍した小物を観光客に買ってもらうこと。
小さい袋を買ったのに、翌日また声をかけられたのには参ったな。

石と木と漆喰でできたバルチット・フォートが青い空に映えている。
なかに入ってみよう。

このバルチット・フォートは1990年から6年かけて99%オリジナル部分を残し修復された。
一番古い部分は700年も前のものだそうだ。
最上階のテラスと玉座から歴代の藩主はどんな思いで山の美しさを愛でていたのだろうか。

フンザ渓谷の景色
黄金色のポプラとディラン7273メートル

フンザ渓谷の景色
木々は栗皮色に落ち着いている。

フンザ渓谷の景色
カリマバードはカラコルム山脈からの強風がヒンドゥー・クシュ山脈にぶつかる谷間に位置している。
宮崎駿 作画監督「風の谷のナウシカ」はフンザが舞台といわれているのも頷ける。

フンザ渓谷の景色
バルチット・フォートはバックから撮影したほうが美しい、安宿の情報ノートに書いてあった。
なるほど、シルエットがロマンチックではないか。
北方地域には5つの8000メートル峰と数多くの7000メートル峰があり6000メートル峰となると数えきれないという。

さて、フンザで楽しみにしていたのが実は温泉♪
カリマバードのゼロポイントからアリアバードのジュビリホテル前までスズキ(乗合軽トラック)で行く。
ムルタザバード行きのスズキに乗り換え、終点で下車する。
2キロメートルほど進むとAga Khan Dizmond Jubilee School Murtazaabadと書いた看板が見えてくる。
そこから左に細い道を入っていくとモスクにつきあたる。
この子供達がいるところがそうだ。
モスクを回りこんで降りていくとフンザ川が見えてくる。

こんな岩がごつごつした川原を歩くこと数十分で温泉に辿り着く。
とても分かりづらい場所なので、地元の小学生に連れていってもらった。
小学生なのに英語を話すのには、びっくりした。

ここが温泉なのだ。
湯船があるわけではなく、打たせ湯だった。
でも気持ちいい?
安宿だったから断水していて、シャワーなんてとても使える状態じゃなかったから、もうさっぱりした。

別の角度から見たところ。
これぞ山の秘湯!
こんな温泉が七ヶ所あるそうだ。

温泉の下ではフンザ川が流れている。
風呂上りは、せせらぎを聞きながらお日様を浴びる。
いで湯でいい気分なのだ。

すっかり満足してカリマバードに戻る。
町を散策していたら女性の嗚咽が聞こえてくるではないか。
なんだ、何が起こったんだ?
その嗚咽は、これからギルギットに嫁ぐ花嫁と母親のものだった。
画像の中央、金色の衣装を着ているのが花嫁さんなのです。
自分の結婚式のことを思い出してしまった。
嫁ぐ前の晩、母親と父親と川の字になって寝たこと。
私もつられて大泣きしてしまった。
村のおじいちゃんが、優しく肩を抱いてくれた。

これは宿泊した部屋のようす。
電気はきているので、電熱器で湯を沸かしペットボトルに入れて湯たんぽにする。
寒いから、生活の知恵なのだ。
先を急ぎたかったのだが、勝新太郎似のオーナーのひと言に瞳の星が輝いた。
「土曜日は、チキンが食べられる」
カレーといっても、人参とジャガイモが具だったからチキンと聞いたら我慢できない。
結局土曜日までいることにした(笑)
20は、フンジュラーブ峠を超えてシルクロード編の予定だよ。

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